友達には秘密にしておきたい和田アキ子

和田アキ子さんって本当にこわい人??ブログ

和田アキ子 歌手・司会

大阪市生野区鶴橋生まれ。4人兄弟の長女。大阪市立真田山小学校を卒業後、私立城星学園中学校へ入学。そのまま私立城星学園高校に進学するも、和田の意志とは関係なく父親が勝手に退学届けを出したため在学期間3日間で中途退学となった。

小学5年生の頃に洋楽に憧れ、15歳の頃からジャズ喫茶やゴーゴークラブで歌い始める。173cm(デビュー当時)の長身から発せられるパワフルな歌声は評判を呼び、ホリプロ(当時:ホリプロダクション)社長堀威夫直々にスカウトされる、当時はグランプリズ(夏夕介が在籍)というバンドを組み、大阪と神戸三宮で活動していたが実際にデビュー出来たのはボーカルの和田とオルガンの夏のみであった。芸名の「アキ子」の「アキ」がカタカナなのは、本名の「現子」が普通に読めないため、当時のホリプロの社長が付けた。本名は当て字である(人名#名前に用いられる漢字参照)。

当時のキャッチ・コピーは「和製リズム・アンド・ブルースの女王」。

1968年(昭和43年)10月25日、「星空の孤独」でレコードデビュー。このデビュー曲は話題にならなかったが、2曲目の「どしゃぶりの雨の中で」がヒットし、人気歌手の仲間入りをした。

1970年(昭和45年)、『女番長・野良猫ロック』(日活)で映画初主演を果たす。また、「笑って許して」で『第21回NHK紅白歌合戦』(NHK)に出場、紅白初出場を果たす。

1972年(昭和47年)、「あの鐘を鳴らすのはあなた」で第14回日本レコード大賞最優秀歌唱賞を受賞。

1973年(昭和48年)から日本テレビ系のバラエティ番組『金曜10時!うわさのチャンネル!!』に出演。番組内で「ゴッド姉ちゃん」(映画ゴッドファーザーに由来)と呼ばれ、せんだみつお、湯原昌幸ザ・デストロイヤーらとドタバタギャグを繰り広げたことで、デカくて・コワい・強いというイメージが全国的に広まった。姐御肌のキャラクターや、女性としては高い身長、靴のサイズの大きさ(27cm)などによる。1979年(昭和54年)、「ゴッド姉ちゃん」のイメージが定着してしまったのを嫌い『うわさのチャンネル』などのバラエティ番組レギュラーを降り、歌手一本で仕事をすると宣言し日本テレビと一時折り合いが悪くなる(現在は和解)[4]。1985年(昭和60年)から『アッコにおまかせ!』の司会を担当。長寿番組となる(2012年12月現在)。

1986年(昭和61年)、歌手として紅白に1978年(昭和53年)以来8年ぶりに出場。以後、連続出場中(2012年現在)。1987年、1988年、1997年には紅組司会も務める。1998年(平成10年)、『第49回NHK紅白歌合戦』で「今あなたにうたいたい」を歌い、自身初の紅白大トリを務める。抜群の声量を生かし、曲の途中ではハンドマイクを使わずに歌うパフォーマンスを見せた。

2005年(平成17年)7月13日付のオリコンチャートでm-floとのコラボレーション作品「Hey!」がオリコン初登場9位を記録し、自身33年ぶりとなるオリコンTop10入りを果たす。また、自身のキャリアにおいて初となる白組での紅白出場。

2006年(平成18年)『第57回NHK紅白歌合戦』に出場し、女性歌手では当時2人目(1人目は島倉千代子)の30回出場を達成。

2008年(平成20年)、競艇(日本モーターボート競走会)のイメージキャラクターとなる。同年9月29日、ニューヨークのアポロ・シアターで、単独公演を行った。日本人の“ソロ歌手”としては、単独公演は初となる。

2012年(平成24年)、『第63回NHK紅白歌合戦』に出場し、女性歌手として島倉千代子を抜いて単独で最多の出場回数となる。

 

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